
昔からの鉄道趣味。
北斗星に乗って、青函トンネルをくぐる。
後年、趣味が高じて運転手となった友人と、昔たずねた幌内線を再訪する。
札幌市電。
小樽、手宮機関区。
マッサンで見ていた余市の工場訪問。
こんなところを巡ってきました。












青森から函館までこの機関車が担当します。
函館からはDD51の重連運転で12輌の編成を牽引します。







そして札幌到着 11:15分です。
この定刻時間より若干遅れました。



まず駅レンタカーを借りて、二条市場で昼食です。







最初に目指したのは、旧幌内駅。
現在は三笠鉄道記念館になっています。

この料金表を御覧ください。日本円ですよ。昭和33年のようです。
幌内から青函連絡船を通って、C61が引く列車で上野まで、1,660円
鹿児島でも2,380円。
私が生まれた前年。三丁目の夕日時代ですね。







鉄道記念館を後に、当時操業中で入れなかった炭鉱のほうへ行って見ます。



発電所です。碍子のかけらが沢山落ちています。

何の歯車でしょうか?かなり負荷が高かったと思われる設計です。







ポイントの操作をする番小屋。中にあった新聞の日付は 3月28日でした。
調べると閉山前なら昭和60年。閉山後まで稼動していたのであれば平成3年になります。
幌内炭鉱は、ガス爆発事故から構内火災が発生。深部だったため、逃げ遅れた約30名を残しながら構内注水という苦渋の措置がとられ、水没。大量の水をくみ出した後、操業を再開するも、平成元年で閉山になってしまいました。






札幌の京阪ホテルに宿泊しました。
駅から近いのと、朝食がよかったです。







日本郵船、小樽支社です。
扉に日本郵船のマークがあしらわれています。


樺太方面など、北海道の海運を支えていました。

旧手宮機関区。現小樽総合博物館。
ここから先の幌内炭鉱まで、鉄道が引かれ石炭輸送をしていました。
鉄道資材はすべて輸入。船で小樽まで運ばれてきたものです。













展示車両の傷みは激しく、保存状態は良くありません。
キハ82、C55だけでも運転できるように整備してくれたら良いのにと思います。
スポーク動輪の美しい、急行用のC55は本来とても美しい機関車です。

そして余市です。
「マッサン」で皆さん知っている竹鶴とエリーの住んでいた工場が、そのまま残されています。


パスポート、渡航のための書類です。







卓球、狩猟、そしてスコットランドで覚えたのでしょう、フライフィッシングもしていたようです。

原酒の樽です。

エリーとマッサンの住んでいた家です。
入り口から入ると畳の部屋になっていて、洋館建てでありながら寛げる和風でもあります。


このポットスチルには火が入っていて、操業中です。

その後フライトのために千歳へ。
少し時間がありましたので、支笏湖へ行ってきました。
温泉に入れればよかったのですけど。





ここにも明治の北海道がありました。
この支笏湖までの道で、並走してサイクリングコースが作られています。
それはいかにも鉄道の廃線跡。
調べてみると王子製紙が敷設した軽便鉄道だったようです。
動乱の続いた明治時代。
特に20年ごろまでは、とても大きく動いた時代だったようで、多くの外国人技術者が多くの近代製品とともに来日しています。蒸気機関車、橋、建築資材、金具、鉄骨、レール等。
明治政府って、ものすごくお金持ちだったようです。
多くの建物を建てて、近代化を印象付けてきたのでしょう。
その当時の建築家は大忙しで、寝る暇もなかったと思います。
自転車も英国などから、この時代に日本へ入ってきて、同じようなものを作りサイクリングブームが始まりました。
その当時からの自転車問屋、自転車店も今に残っています。
北海道。
広大な台地を開墾して、石炭を掘り、海産物を捕り、ウィスキーまで作ってしまう人々の力。
当時の技術者に尊敬を覚え、日本人のすごさを再認識した旅でした。
おわり
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