
金門の熊
台湾でありながら、台湾本島よりも中国アモイに近い島。
それが金門島です。
中華民国軍が、中国人民解放軍と激戦を交え死守した島。
少し前までは、立ち入りが厳しく制限されていた軍事要塞の島でもあります。


金門島へは、台北松山空港から約一時間。
フライトインフォメーションボードを見てもわかるように、30-1時間に1本のフライトがある本数の多さです。
これには観光客の利用とは違う事情がありまして、台湾から中国に行く場合、香港経由よりも安くて近いルートなのだそうです。
中国、台湾がお互いに行き来ができるように。これを小三通と言い、中国へ直接行くことができる初めてのルートでした。
私は6:40分 UNI Airで初めての金門島へ向かいました。
実は急遽思いつきの旅行でした。
この日の夕方の飛行機で日本に帰る予定もあります。
私は金門島の空港へ着いて、事前に調べていかなかったため、辺りをきょろきょろ。
朝早く無人のインフォメーションで、地図をGet.
バスが来ましたがよりによって遊遊カードは空港のロッカーに置いてきた荷物の中です。
国際免許も置いてきてしまったので、レンタカーも借りられません。
タクシーは並んでいましたので、筆談でお願いしてみることにしました。
我 金門島旅遊 坑道 観光 返回 機場 12:00 とメモに書きました。
1時間400NT 4時間で1600NTとの返事に、2000NT支払い、交渉成立です。
時間が限られているので、道に迷うことなく最短の移動時間で回れるタクシーは便利です。

最初はここに行きました、
島の西南端にある舟艇が格納できる大規模坑道です。







武器はすべて米国製でした。


入り口はこんな感じにカモフラージュされています。





内部の水路はV字型になっていて、約40席の舟艇を格納できるとのことです。
砲弾から大切な船を守る。
いざというときはここから出撃したのでしょう。
花崗岩質の非常に固い岩盤を掘っています。
ダイナマイトがないと彫るのは大変で、秘密裏に作ったのだとすれば人海戦術だったと想像をめぐらします。


表には米軍払い下げの軽戦車が展示されています。


次に行った坑道は、ご覧のように普通の建物の中に入り口が潜んでいます。
恐らくふたをすればわからなくなるように作ってあるのでしょう。











作戦司令部があり、当時戦っていた人たちの写真もありました。
兵器、装備の数を記した記述もあります。




非常に狭い地下坑道が続いていて、時折上に上がると銃眼が開いています。
その銃眼のレベルは道路の路面と同じ程度の低いものです。




出てきました。長さはここだけで500m以上あると思います。
この辺り一帯に坑道は掘られているようです。







戦史博物館です。
この辺りで行われた壮絶な戦いをわかりやすく展示しています。
根本 博 中将
日本人の将校が、退役後に秘密裏に台湾へ渡り、人民解放軍との戦闘の指揮を執っていたと以前テレビで見たことがありました。
また、先のこの地で行われた古寧頭戦役60周年記念式典に、中将のご子息が特別に招かれ表されたとありました。
台湾を現状にとどめたこの戦いに、日本人がかかわっていた。
遠くからこの地まで、軍事顧問としてやってきていたこと。
こんな歴史に触れることができた今回の旅でした。
大量の砲弾が雨のように降り注いだ金門島。
その砲弾が、今は包丁やナイフに様変わりしています。


別々のお店で、記念にナイフを2本買い求めました。
多くの人が訪問する台北。
わずか1時間のフライトで行くことが出来る金門島もぜひ訪問していただき、歴史を振り返っていただきたいと思います。
特に赤軍上陸戦のくだりは、
かなり緊張感のある読みものでした。
大陸入植地からの撤退戦の際責任者だった同氏は、
便宜を図ってくれた蒋介石の恩義に報いるために、
協力者と共に漁船で密入国したそうです。
戦争を肯定しませんが、
”矜持”というもののあり方を考えさせられる逸話です。
モニュメントになっている”金門の虎号”(M3戦車)は、
1/35で台湾製のキットになっています。
つくってみたいな・・・・・。